生きる目的

本来の生きる目的に生きる道

途中からだとわかりにくいので、初めから順にお読み下さい。

クリスマス ~女としてイエス・キリストのご降誕を覚える~

前回、マタイの福音書の冒頭にあるイエス・キリストの系図について目を向け、通常ユダヤの系図にはない女性の名前が載せられていることを少々見ました。

その流れで、イエス・キリストのご降誕を覚えるこの時期に、女としてその事実をじっくり覚えたいと思います。

また、そうするのは、このブログのアクセス数、特に検索でのアクセス数が圧倒的に多く、現在もアクセス数を伸ばし続けている記事が、「サタンの誘惑と女の堕落」であることも心に留めてのことです。

パウロは、テモテへの手紙の中で、「アダムは惑わされなかった・・・」(Ⅰテモテへの手紙2章14節) と記しています。

創世記3章には、神であられる主が、食べてはならないと命じられていた木の実を取って食べたことについて女に問われたとき、女は「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです」と答えたことが記されています。

そして、神であられる主が蛇に仰せられたことが、「・・・彼は、おまえの頭を踏み砕き・・・」ということでした。ここに、イエス・キリストのことが語られています。そのイエス・キリストは、事実、聖霊によってみごもった処女マリヤからお生まれになりました。

人類の代表者であったアダムは、妻の声に耳を傾け、神である主の命令を破りました。アダムが罪を犯したため、人類はみな、アダムにあって罪の中に生まれてくることになりました。

罪と悪の支配から私たちをお救いくださる救い主は、罪のない聖なるお方でなければなりません。そのようなお方は、神以外おられません。

三位一体の二位格、御子イエス・キリストが、人となられる必要がありました。その際、アダムの性質を受け継ぐ男性によってではなく、神の聖霊によってでなければなりませんでした。

このような形で、イエス・キリストは女から生まれた人となられました。何と驚くべきことでしょうか。

私は、男女に優劣をつけるつもりはありません。男性と女性は異なっています。神がそのように造られたのです。女は男よりも「弱い器」であると、聖書は語っています (Ⅰペテロの手紙3:7)。悪魔もそのことを知って、アダムではなくエバに近づいていきました。そして、エバが先に堕落しました。

私はその事実を女として覚える時、神の恵みのみわざにただ驚かされます。救い主であられる主イエス・キリストによって、男も女もない、同等の救いに与かることができるのです。

弱い器である女としての自分を突きつけられるほど、私はただ神の恵みによる救いに、驚きに驚きが増し加えられ、ますます圧倒されるばかりなのです。

【いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。】ルカの福音書2章14節
                  引用 (聖書 新改訳第三版  日本聖書刊行会