生きる目的

本来の生きる目的に生きる道

途中からだとわかりにくいので、初めから順にお読み下さい。

イエス・キリストの系図に見る恵みの力

前回は、『救いは、ただ神の恵みによる 』について記しましたが、神の恵みの力について、思い巡らせられています。

恵みは力です。罪の支配を凌ぐ力です。

そのことは、新約聖書の一番初めに置かれているマタイの福音書の冒頭にある、イエス・キリストの系図にあらわされています。

そこには、罪深い人間の歴史があります。ユダヤの系図には載せられることのない女性、それもあえて不名誉な出来事に関わる女性の名前が載せられています。

しかしそこから見て取れるのは、ただ神の恵みによる救いのご計画が、罪と悪の支配に勝る力をもって進められてきた、ということです。

イスラエルの歴史は、まさに人は律法の行いによって救われることはできないという、罪また罪の歴史です。

神の民イスラエルは、ダビデ王のように、再びイスラエル王国を統一してくださる王を待ち望んでいました。しかし、彼らが他の国の下に置かれたのは、神への背きの罪ゆえでした。

人は、生まれながらに罪と悪の支配の下にあります。だから、神に対して罪を犯さずにはいられません。私たちはみな、罪から救われなければなりません。

父なる神は、人を罪から救ってくださる救い主を遣わしてくださる約束をされていました。その約束、そのご計画は、悪の策略、人間の罪によって断たれることなく、推し進められてきました。

この系図から罪と悪の恐るべき力を見るならば、同時に、そこから救い主なる主イエス・キリストの誕生へと至るこの系図に、それを一掃する恵みの偉大な力を見て取らされ、圧倒されます。