生きる目的

本来の生きる目的に生きる道

途中からだとわかりにくいので、初めから順にお読み下さい。

信仰の父アブラハムの義認

【これらの出来事の後、主のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である、あなたの受ける報いは非常に大きい。」そこでアブラムは申し上げた。「神、主よ。私に何をお与えになるのですか。私には子がありません。私の家の相続人は、あのダマスコのエリエゼルになるのでしょうか。」さらに、アブラムは、「ご覧ください。あなたが子孫を私に下さらないので、私の家の奴隷が、私の跡取りになるでしょう」と申し上げた。すると、主のことばが彼に臨み、こう仰せられた。「その者があなたの跡を継いではならない。ただ、あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がなければならない。」そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。】創世記15章1-6節

彼は、信じました。神がそう言われたからです。彼も、彼の妻であるサラも年老いていました。彼は、望みえないときに望みを抱いて信じました (ローマ書4:18)。神が約束されたから、それは必ず成就することを堅く信じました (ローマ書4:21)。

不妊の女で、年をとってみごもったバプテスマのヨハネの母であるエリサベツは、イエス・キリストの母マリヤの親類でしたが、マリヤがあいさつに来たときに、「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」(ルカ1:45) と言いました。

アブラハムの信仰には、行いが伴っていました。後に、彼は神からイサクを全焼のいけにえとしてささげるようにと命じられました。

アブラハムは、サラから生まれた子が跡継ぎになるという約束を与えられていました。「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれる」(創世記21:12) という神からの約束がありました。ご自身がなされた子孫の約束がある中で、このイサクを死に至らしめるようなことを神は命じられました。

そして、アブラハムは、そのイサクを神が命じられたとおりに、いけにえとしてささげました。彼は神を恐れ、ひとり子をさえも惜しみませんでした (創世記22:12)。

それは、神がその子をよみがえらせることがおできになることをも信じていたからこその行動でした。「信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。神はアブラハムに対して「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」と言われたのですが、彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です。」(へブル書11:17-21)

【彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。しかし、「彼の義とみなされた」と書いてあるのは、ただ彼のためだけでなく、また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。】ローマ人への手紙4章20-25節

                  引用 (聖書 新改訳第三版  日本聖書刊行会