生きる目的

本来の生きる目的に生きる道

途中からだとわかりにくいので、初めから順にお読み下さい。

基盤の曖昧さ

自分自身も含め、問いかけを行ってきました。

ここで記したいのは、何においても言えますが、誰もがはじめは未熟であるということです。生まれたばかりであれば、ほとんど右も左も分からない未熟な状態であって当然です。クリスチャンになったばかりであれば、クリスチャンであるとはどういうことか、本当に自分がクリスチャンなのかどうか、よく分からない場合が大半だと思います。

現在の教会に多く見られるのが、洗礼を受けたら奉仕活動に追われていき、よくわかってもいないのに、神さまのために、イエスさまのためにと、活動をしなければクリスチャンとしていられないような雰囲気にさえなっているような傾向です。奉仕によって成長させられるということもありますが、最も必要なのは、みことばに養われ、正しくその基盤が据えられることです。

そうでなければ、霊的に未熟なまま年月ばかりが長くなるだけです。最もの奉仕は、神を神として礼拝することであることを、覚えておきたいと思います。

キリスト教の中心的な教理は、信仰による義認です。まずそのことを、聖書のみことばから正しくしっかりと教えられ、理解する必要があります。奉仕活動をしていると安心、などということになってくれば、自分はこれこれのことをしているから救われている、という、自分の行いに重きが置かれていることになるでしょう。

随分前ですが、「あの人たちはあんなに熱心に、あれだけのことをしているのに、私はあんな風にはできない。自分は駄目なんだ…。」と落ち込んでいた姉妹がいました。度々そのようなことで、自分は駄目だ、自分は駄目だ、と言っていました。聖書のみことばを素直に聴き、従おうとする姿に、私自身尊敬の念を抱いていた姉妹です。しかし、信仰義認という、この中心的な教えをはっきりと理解しておらず、そのようなことで「自分は駄目なクリスチャン」と、常にぐらついていたことがわかりました。

最も大事なことは、神と正しい関係にあるか、ということです。

まず、この中心教理を聖書のみことばからじっくりと教えられ、理解させられなければなりません。