生きる目的

本来の生きる目的に生きる道

途中からだとわかりにくいので、初めから順にお読み下さい。

問いかけ - 神を第一にするとは?③ -

引き続き、自分自身を含め、問いかけをしたいと思います。

神を第一にするとは、主なる神との関係を第一とすることであり、それはまず、神との交わりの時間を何よりも優先させるために、その時間を積極的に取り分けていくことであることを前回確認しました。

みことばを聴くこと、祈ることによる、霊なる神との霊の交わりによって、神というお方、イエス・キリストというお方をより知っていくのです。そうして、このお方が何を好まれ、喜ばれ、何を嫌われ、退けられるのか、ということを知っていき、自分の思いではなくみこころがなること、みこころに適うことを願い、それが行動にもあらわれてくるのです。

ところであなたは、みことばを聴くことを喜びとしているでしょうか。しばしば、祈りには長い時間をかけるけれども、聖書はあまり読めていないとか、説教は短い方が良い、などということを聞きます。以前の私は、誰よりもそうであったことを思います。

はっきり言うと、みことばを聴かずに祈る祈りは、聖書の神への祈りとは言えません。人の話を聴こうともせずに一方的に話をしてくる人に対して、私たちは好感を持つことはできません。自分のことを知ろうともせず、自分の話を聞く気もない人と、会話のキャッチボールなど到底できません。神というお方を知ろうと、ご自身のみことばを聴くことを退屈がりながら祈るということは、自分自身がそのようなことをしていることでなくて何でしょう。

しかしそもそも、聖なる神に近づき、祈るためには、絶対的に必要なことがあります。そして、このことも本当に救いを理解しているか否かを問われる、主要点であります。

あなたは、自分が聖なる神に赦され、義と認められ、ご自身と和解させられるために何が必要であったか、知っていますか。「イエス・キリストの血」の絶対的重要性を知っていますか。その意味を、その尊さを本当に知っていますか。

その尊さを知らないならば、みことばを聴くことも退屈でしかないでしょう。そうであれば、主なる神を第一とすることなど到底できません。

私は、そのことを痛く突き付けられました。あなたはどうでしょうか?