生きる目的

本来の生きる目的に生きる道

途中からだとわかりにくいので、初めから順にお読み下さい。

問いかけ - 神を第一にするとは?① -

ここまで記してきたことに照らして、自分自身を含めて問いかけをしたいと思います。

「神を第一に」とよく言われますが、それは一体どういうことでしょうか。何をもって神を第一にしていることになるのでしょうか。そのように言う時、具体的に何を第一としているのでしょうか。
それは、そもそも救いとは何か、本当に救いを理解しているのかを問われていることになるでしょう。
本当にそのことを喜んでいるならば、迷わずに答えられるはずです。記してきているように、私はその問いに対する明確な答えを持っていなかったために、非常に苦しみました。

救いにおいて、第一義的なこととは何でしょうか。私たちに救いが必要な理由、その最も重要なところとはどこにあるでしょうか。

私たちに救いが必要な理由、それは第一に、神との関係が失われているためです。

罪人として生まれてくる人間の悲劇は、造り主であられる神と敵対関係にあり、本来あるべき関係が絶たれ、関わりを持つことが一切できない状態にあることです。それが罪ということです。

生まれながらの罪人は、聖なる神との交わりを持つことが全くできない状態にあります。罪人は、唯一まことの神を神とは認めず、神は罪人に対して聖なる怒りを覚えておられます。決して歩み寄ることのできない、完全に切り離された関係にあるのです。

神とそのような関係であったことを知っているでしょうか。神に対して、いかに自分が醜い罪人であり、聖なる神の御怒りの下にあって、その関係を回復させること、和解へと至らせるすべを全く持ち合わせてはいない者であることを悟ったことがあるでしょうか。神ご自身が備えてくださったイエス・キリストによる唯一の救いの道に、自分にとっての生死に関わる絶対的な必要性を本当に覚えたことがあるでしょうか。そして、神との和解を喜んでいるでしょうか。

神を第一にするとはどういうことでしょうか。救いの喜び、神との和解の喜びを本当に知る者とされた今、私はこのように答えます。それは、主なる神との関係を何よりも大切にすることです、と。

神との正しい関係によるのでなければ、「神を第一に」と言いながら、全ては自分から発し、自分に帰結してしまうこととなります。結局は自分が第一になってしまいます。

救いの喜びを知る者とされた今も、常に問われながら、悔い改めながら、歩む日々です。