クリスチャンホームに生まれ育った私にとって、イエス・キリストを信じることは、ある意味当たり前のことのようでした。
そのような私自身が、問われていたことに対して、以下のように答えてはいても、事実、本当にはわかっていなかったために、非常に苦しみました。
・あなたは、どこに救いの必要性を感じていますか?
- 自分には罪があり、罪から救われることが必要であると思っています。
・あなたにとって、イエス・キリストはどのようなお方ですか?
- 私の罪のために身代わりに十字架にかかり、死んでくださった、私の救い主であり、私の主です。
・救いのために、イエス・キリストが必要な理由は何ですか?
- 神の御子であられるイエス・キリストだけが、私を罪から救うことのできるお方だからです。
・あなたはなぜ、イエス・キリストを信じるのですか?
- 自分の行いによって救われることはできず、救いはイエス・キリストを信じる信仰によってのみであるからです。
このように答えてはいても、私には自分が答えているこれらのことの意味が、わかってはいませんでした。神というお方を、そのとおりには知らず、神に対して自分がどのような者であるのかが、わかっていなかったからです。
私はその頃、自分がわかっていないために苦しんでいることを、誰にも言えませんでした。あなたはどうですか?
私は、わからずに苦しんでいる方々のことを覚え、祈っています。