生きる目的

本来の生きる目的に生きる道

途中からだとわかりにくいので、初めから順にお読み下さい。

悔い改め

【そのころ、バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教えを宣べて、言った。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」この人は預言者イザヤによって、「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ』」と言われたその人である。】マタイの福音書3章1-3節

イエス・キリストの先駆者として遣わされたバプテスマのヨハネは、人々に悔い改めを説き、悔い改めのバプテスマを授けていました。

悔い改めとは、「向きを変える」、「思いを変える」ということです。造り主であられる神を覚え、神に背を向け、神など関係なく自分の心の赴くままに生きていたことを、見直すのです。

人々は、自分の罪を告白し、バプテスマを受けていました (マタイ3:6)。「告白」は、もともと「神が見ているとおりに見る」という意味があります。自分の視点ではなく、神の視点で自分を見させられたとき、その罪深さに心刺され、心砕かれます。そして、そのことを表します。

なぜ、主イエス・キリストの先駆者として、人々の悔い改めのためにヨハネが遣わされたのでしょうか。このことは、非常に重要です。

バプテスマのヨハネは、人々にその罪を指摘し、悔い改めへとその心を導きました。悔い改めのない者たちを糾弾し、悔い改めにふさわしい実を結べ、と叱責しました (マタイ3:7-10)。罪の自覚と悔い改めを飛ばして、イエス・キリストを主として迎え入れる心が備えられることはありません。

真の悔い改めがなければ、心に天の御国の王であられるこのお方をお迎えする少しの余地もないのです。心砕かれ、悔い改めるのでなければ、このお方に支配して頂く必要を覚えません。罪に支配されたまま、罪を好み、神に罪を赦して頂く必要を覚えません。

このお方なしに、罪を赦して頂くことはできません。「血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです」(へブル9:22)。聖いイエス・キリストの血によってのみ、私たちは神から罪を赦して頂くことができるのです。

福音は、「イエス・キリストを信じなさい」から始まるのではありません。

イエス・キリストご自身もそうであられました。

【この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」】マタイの福音書4章17節

                  引用 (聖書 新改訳第三版  日本聖書刊行会