生きる目的

本来の生きる目的に生きる道

途中からだとわかりにくいので、初めから順にお読み下さい。

救いの尊さがわからない理由

救いについてよくわからない、それは、私自身がそうでしたけれども、そもそも自分がどのような状態にあるのかを知らないからです。

特に、造り主であられる神と自分の関係性において、どのような状態にあるかを知らないからです。そしてまた、知りたがらないからです。

私たちが何か救いを必要としたとき、求めるのは愛の手です。自分を受け止め、自分を理解し、寄り添ってくれる存在を求めます。

そこで愛の神が登場します。神はまさにそのようなお方であられるのだと。

確かにそうですが、そこから入ったのであれば、神ご自身が差し出してくださった救いの道の必要性がわかりません。

しかし問題は、私たち人間は、罪によって神との親しい関係が失われ、神の御怒りの下にあるということです。

神は聖く義であられるお方なので、罪に対して公正なさばきをなされます。

私たちは神に従うことができず、そもそも従おうともしません。縛られたくない、自分の人生なのだから、自由に生きたい、と、自分の生がどこからきたのか、そんなことはお構いなしに生きています。

法律に従わず、反することをすれば、罪に定められ、相応の刑罰が下されるように、神の律法に従うことをしようともしない私たちは、罪に定められており、神によってさばかれなければならない存在です。公正なさばきをなさらない神は、神ではありません。

神を神とせず、神の律法に完全に反し、罪を犯している人間は、神の御怒りの対象、さばきの対象なのです。

そこで、神ご自身が備えてくださった救いの道が絶対に必要であることを知るのです。

神は、ご自分の御子イエス・キリストを人としてこの世に遣わされ、人として完璧に神に従われたキリストを、私たちの身代わりに十字架刑という罪の刑罰へ至らせられたのです。神は、愛するひとり子に、私たちの罪を背負わせ、御怒りを注ぎ出され、さばきを下されたのです。

ここにこそ、神の愛が示されたのです。