生きる目的

本来の生きる目的に生きる道

途中からだとわかりにくいので、初めから順にお読み下さい。

原罪 - 人類の最初の代表者アダム -

続いて、『原罪』について、見たいと思います。
アダムは、妻のエバから食べてはならないと神から命じられていた木の実を差し出され、戒めることもせずその実を食べ、人類に罪が入りました。
『原罪』について、まずD.M.ロイドジョンズ師によるローマ書講解5章から引用したいと思います。
ロイドジョンズ師は、ローマ書5章12-21節の区分について、〔この区分が、聖書の中でも、原罪の教理を教える代表的な箇所〕だと、そして12節については、〔神学という見地からすると、全聖書の中で最も重要な節の一つである。〕と言っています。
そしてその12節について、〔罪が普遍的に存在しているということ〕、〔死が普遍的なものであること〕、この二つの事実の説明がここに見出されると言います。

 

【そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、─それというのも全人類が罪を犯したからです。】ローマ人への手紙5章12節             (聖書 新改訳第三版 日本聖書刊行会

 

これは、〔罪と死の双方が人間の生に、また、人類の物語の中に「入り」込んだのは、ひとりの人アダムが行なった不従順の行為の直接的な結果としてである〕こと、〔このひとりの人のその一つの行為、その一つの不従順、その一つの罪こそ、死を私たち全員の上にもたらしたものであり、私たち全員を罪人に指定したものである。それは単にアダムが私たちに罪深い性質を受け継がせたというだけのことではなく、神が、アダムと私たちの関係のために、私たちを罪人と「指定された」のである。そして、その罪に対する刑罰は、死という形で人類全体に臨んでいるのである。〕とあります。
これで終わりではなく、アダムとの古い関係と同じように、「第二のアダム」、「最後のアダム」であられる代表者キリストとの新しい関係にあることについて述べられているのですが、今回は、『原罪- 人類の最初の代表者アダム -』について、非常に簡単でありますが、覚えておくために見ました。

                       D.M.ロイドジョンズ 訳 渡部謙一 
                         ローマ書講解5章 救いの確信 
                               いのちのことば社

 

“罪人と言われても、それがアダムにあってということで、自分の責任であるわけではないという安心を覚える。”という話がなされているのを聞いたことがありますが、そこは安心を覚えるところではないのではないはずです。
罪人と指定されている者たちは、そのままであるならば、それぞれがその罪の刑罰を受けるのです。
キリストが身代わりに罪の刑罰を受けてくださり、義なるキリストにある者とされていることに安心を覚えていたいと思います。