生きる目的

本来の生きる目的に生きる道

途中からだとわかりにくいので、初めから順にお読み下さい。

ただ、神の恵みにより

「恵み」ということばは、「愛」と共に、キリスト教界においてやたらめったらに飛び交っています。その現状を「恵みの安売り」と批判する牧師先生もいますが、私も全くその通りだと思います。

そこで、救いにおける神の恵みとは如何なるものか、その神の恵みを知る者とはどのような者か、学ばされてきたことを短く記したいと思います。
救いは、完全に神の恵みによります。

しつこいようですが、生まれながらの私たち人間は、あまりにも罪深く、徹底的に腐敗していて、全く神から心にかけて頂けるような存在ではありません。

罪深く、価値のない者で・・・などと、私自身、以前は軽々しく言っていました。しつこく言われても、本当にはわかっていませんでした。しかし本当に深くそのことを悟らされた後は、そのように易々とは言えなくなりました。恩顧を受けるに全く価しない者であることを悟らされる時には、言葉にならない苦痛が伴います。

罪を認めており、信仰を持っている自分というものが主体となっているなら、救いが完全に神の恵みであるとしてはいないのです。そうではないと自分では思っていても、無意識に自分の信仰を誇りとしてしまっていることは多いと思います。私自身がそうでした。

信仰も与えられるものであり、自分が信じると決心するのではありません。
「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」 エペソ書2章8,9節

神がどれほど聖いお方であられるかを少しでも知り、自身がどれほど汚れにまみれた醜い者であるかを悟らされることなくして、神の恵みを知ることはできません。