生きる目的

本来の生きる目的に生きる道

途中からだとわかりにくいので、初めから順にお読み下さい。

イエス・キリストの卓越性

18世紀のリバイバルの時代の大説教者ジョナサン・エドワーズによる説教集「イエス・キリストの卓越性」を読んでいて、何と私たちはイエス・キリストというお方を知る知識に乏しいことかと思わされます。

邦訳されているものは絶版となっているこの書には、驚くべきキリストの内にある異質の卓越性の結合(栄光と謙遜、威光と柔和、神に対する最も深い畏敬と神と同等であること 等)、キリストの行為に現れた卓越性の結合、そして適用について記されています。

一番最初に、ヨハネの黙示録5:5,6から、「ユダ族から出た獅子」、そしてまた「ほふられたと見える小羊」と呼ばれているイエス・キリストについて、このみことばを基にその卓越性を説いていくことが述べられているのですが、「獅子」と「小羊」という非常に異なった種類の生き物の独自性について、
『獅子は力と、堂々たる外見と声とにおいて卓越しています。』
『小羊は食用に適し、わたしたちの衣服として格好の素材を生み出し、神に捧げるいけにえとしてふさわしいという優れた性質を備えている上に、温和で我慢強い動物であるという点で傑出しております。』とあります。

このそれぞれの卓越性が、神-人なるキリストの内にどのように結合し、どのように行為として現れているのか、それはただただ驚くべきことであり、キリスト者としてそのキリストの卓越性を引き下げてしまうような安易な理解でいてはならないことを思います。

この書の中から、これまで記してきたことの続きとして、少しの部分を取り上げたいと思います。

前回、イエス・キリストのご降誕に思いを巡らしましたが、イエス・キリストが貧しい処女の胎内に宿られ、お生まれになった際に家畜小屋で飼い葉桶に寝かされたお姿は、顕著に小羊として現れたことを示していること、しかし、この幼子は、吠えたける獅子であるサタンに打ち勝ち、勝利すべく生まれたもうたお方であられること、このお方のご降誕の際に、御使いの群れが、御子のご降誕の目的を歓喜に満ちた歌声で宣言した、そのところに、神たる威厳が示されたのだということです。

前々回には、キリストの十字架について記しましたが、その卓越性は、イエス・キリストのご生涯において現され、最もあの十字架において現されたことを常に忘れないでいたいと思います。こうあります。

『キリストは、罪が神にもたらした不名誉を取り去るために死なれた時ほど、神に敵対する罪への憎悪をはっきりと示されたことはありません。しかしながら、その時ほど彼が罪に対する神の憎悪と怒りの、恐ろしい結果をその身に受けられたことはないのです。ここに、キリストの内にある異質の卓越性、すなわち神への愛と罪人らへの恵みとの結合が現れているのであります。』

『小羊のごとく屠り場に引かれて行った時ほど、キリストが敵を滅ぼす著しい力を帯びた獅子としてみ姿を現されたことはありません。彼は最も弱いときにこそ、最も強かったのです。敵どもから最もひどく苦しめられたとき、彼らに最大の破滅をもたらされたのです。ーしたがって、キリストが最後の苦しみにおいて神にご自身を捧げられた時、異なる卓越性の驚嘆すべき結合がその内に明示されたのであります。』

                                                                          ジョナサン・エドワーズ  訳:飯島 徹
                                                                         「説教集 イエス・キリストの卓越性」 
                                                                                      キリスト新聞社