生きる目的

本来の生きる目的に生きる道

途中からだとわかりにくいので、初めから順にお読み下さい。

キリストの十字架

十字架刑は、奴隷や重罪人などの刑であり、大変な苦痛を味わいながら死に至る、死刑です。

この十字架刑によって、イエス・キリストは罪人の身代わりとなって死んでくださいました。罪なきお方が、人々の重罪を負って、代わりにその罪の刑罰を受けてくださったのです。

キリストの十字架には、神の義が現されていると、使徒パウロは記しています(ローマ人への手紙3:25,26)。神は義なるお方であられ、罪人を救うために、罪をさばかないまま救うような矛盾したことをなさるお方ではありません。罪汚れにまみれた人を救うため、人となられた義なるイエス・キリストにその罪を負わせ、罪を罰せられたのです。

神は、愛であられると同時に、義であられます。

十字架には、神の義が現されています。神の義、神の律法。そのことを知らないならば、キリストの十字架の真の意味はわかっていないことになります。

キリストの御苦しみは、罪を背負い、神の刑罰、御怒りを受け、父なる神と断絶されることでした。神と断絶させられることの恐ろしさを知っているでしょうか。

私は、神の聖なる律法、聖なる光に照らされて、もはや耐えられないような自分自身の罪の現実を見せられ、神にさばかれ、断絶させられ、滅びゆく以外にないのだと、その言いようのない恐ろしさに、気を失って倒れるばかりになったことがありました。その時、キリストの十字架、その御苦しみの意味を真に知らされたのです。

だから、キリストの十字架が薄っぺらなものとしかされないことには、非常に憤りを覚えます。

イエス・キリストが味わわれた苦しみを経験したことのある者はいませんし、わかりえません。私たちがそこに至らないようにと、父なる神は御子を引き渡され、御子イエス・キリストは身代わりとなられました。

しかし、神の御前に自分がどれ程おぞましい存在であるか、そしてそのような自分が当然なされるべき処罰、その処罰を代わりに負ってくださった主イエス・キリストの十字架の御苦しみ、父なる神との断絶、その何ほどかでも知らずして、神との和解の喜びを知ることができるでしょうか。

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