生きる目的

本来の生きる目的に生きる道

途中からだとわかりにくいので、初めから順にお読み下さい。

なだめの供え物

なだめの供え物についても、どれだけ聞くことがあるでしょうか。

神は、なだめられる必要のないお方である、ということを耳にしたり、書物において目にすることがあります。

しかし、神の怒りは旧約時代から現されており、なだめは、全焼のいけにえにあらわされています。全焼のいけにえは、「主へのなだめのかおりの火によるささげ物」でした。

神の怒りは、私たち人間のように、怒って、苛立って、冷静さを失い、相手をののしったり、というようなこととは全く異なります。私たちの身勝手な感情とは全く違います。

そして、神のご性質は、私たち人間であれば対立するようなものも、すべて完璧に調和し、保たれています。

従って、なだめについても、私たち人間と同じ感覚で捉えるならば、当然神を侮辱するような考え方となっていきます。

神は、聖であられるゆえ、罪や悪に対して怒りを覚えておられ、なだめを必要とされていました。罪を徹底的に嫌われるお方が、罪を完全に処理され、満足される必要がありました。ご自分が遣わされた、なだめの供え物としての御子イエス・キリストによってです。

罪人がああだこうだ、神について勝手なことをつべこべ言おうと、神は、なだめの供え物として、ひとり子さえも惜しまずに、この世に遣わしてくださいました。罪人をご自分の御怒りから救うために、必要であったからです。

ここにこそ、私たちの考えうるところをはるかに超えた、神の愛があるのです。

神の御怒りを知ってこそ、神の愛を真に知ることができるのです。

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