生きる目的

本来の生きる目的に生きる道

途中からだとわかりにくいので、初めから順にお読み下さい。

失われている?キリスト教の中心教理

キリスト教の中心教理は、イエス・キリストを信じる信仰によって義と認められる、「信仰義認」ですが、このことが現在、正しく理解されていない場合が多いのです。

そもそも何を信じているのか、信じるとはどういうことなのかが、わかっていないのです。

イエス・キリストを信じると言っても、イエス・キリストの何を信じているのか・・・。十字架での死、復活・・・しかし、その意味は何なのか・・・。

何を信じているのか、わかってもいないことを信じるというのは、筋の通らない話です。

それはまず、初めの方から記してきた「罪」というものがわかっていないからです。

そもそも人間は罪人として生まれ、罪に支配されているので、罪を罪と自覚することもないのです。

そして、何故罪が赦されなければならないのか、何故義と認められなければならないのかが、わからないのです。

現在私は、「罪の赦し」という言葉を聞いても、「義認」という言葉は、あまり聞くことがありません。

神から義と認められなければ、完全に正しく義であられる神と交わることはできません。罪人は、神を知らず、神に背き、神の律法に従おうとは思いません。そのような罪人に対し、神は怒りを覚えておられます。神は聖なるお方であられ、罪や悪と交わることはおできにならず、完全に忌み嫌われるからです。だから、相交わることができません。

そして神は、罪に対して正しいさばきを執行されます。最終的なさばきは、永遠の死であり、それは神との完全なる断絶です。

私たち人間は今、この世に生かされている間に、造り主なる神との関係が回復され、神と和解させられる必要があるのです。そして、その道はただ一つ、イエス・キリストを信じる信仰によって神から義と認められることです。